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院長挨拶 院長 塚原一典 kazunori tsukahara

座右の銘「健土健民」

私が高校・大学と学んだ酪農学園の創始者黒沢酉蔵園長が機農高校入学式に言われていた言葉が忘れられません。
「健土健民」それが私の座右の銘です。

「農民は土を耕して種をまき、作物を育て収穫をして、それを売ってお金を得ます。その過程の中で最も大事なことは土をしっかり耕し、堆肥をまいて土を豊かに健康にすることです。

健やかなる土から健やかな作物ができます。健全な肉体に健全な精神が宿るというように、健やかなる作物を食べた人たちは心身ともに健康な身体になります。たくさんの健康な体を持った人々が増えて行けば健全な社会が形成されます。

だからあなた方が農業者として生きていくことは日本の社会を背負っているのだと云う事を自覚して『健土健民』の言葉を忘れずにいなさい」と言われました。

動物病院の仕事も同じことが言えます。わたしは病院に来る伴侶動物が常に健康であってほしいと思い、診療に全力を尽くします。動物が元気だと飼っている飼い主さんも元気でいられるからです。

動物病院とブドウ園と2足のわらじを履いて今日までやってきました。

苗木を植えておいしいブドウが出来、お客さんが満面の笑みで「おいしい!」と言われた時、伴侶動物の病気が治って「先生、ありがとう!」って言われた時、この言葉がフッと頭をよぎります。

これからもこの言葉を常に肝に銘じていきたいと思います。

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1957年 斑鳩町三井の酪農とブドウ園農家の長男として生まれる。
1964年 斑鳩小学校入学
1970年 斑鳩中学入学
1973年 北海道酪農学園機農高校(現 とわの森三愛高校)に入学
1976年 酪農学園大学獣医学科に入学
1980年 獣医師国家試験合格。奈良県農業共済連合会家畜診療所に就職。
1984年 父の家業の酪農業と果樹園の経営を移譲され、獣医師の仕事を廃業。
1994年 10年間の酪農業と格闘するが、畜産全体の取り巻く環境の悪化と伝染病により数多くの主力牛を失い経営が悪化し酪農業の廃業を決意。
1995年 動物病院を開業。ブドウ園との2足のわらじを決意。
2014年 ブドウ園の経営を長男に移譲。

私のこと、そしてこれからのこと。

乳牛の世話をして過ごした小学校時代

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わたしは昭和32年に、今住んでいる斑鳩町三井で酪農とブドウ農家の長男として生まれました。

生まれた時からわたしの周りにはたくさんの牛や豚やヤギがいて、動物に囲まれたなかで育ちました。小学生のころ、学校から帰るとすぐ牛舎に行き、子牛の首にロープをかけ散歩に出かけるのが日課だったものです。草を食べさせながら頭をなでたりしっぽを引っ張ったりして、可愛いおもちゃだったのでしょう。

小学校6年生の時に、父から「今日生まれた子牛をお前にやるから育ててみないか?」と言われ、「うん」と即答。学校に行く前と、帰ってきてから哺乳と餌やりをして育てました。

それを2年間続けて大人の牛になり、そして出産をしました。それからは餌やりに加え、朝晩の乳搾りもしながら学校に通ったものです。毎日乳量を計り、それをノートに記入して月末に父に見せる、そうすると牛の餌代を引いた残りを牛乳代金としてわたしの貯金通帳に入れてくれました。

酪農専門の高校・大学へ

中学3年生の時、父の知人から「北海道に酪農専門の高校があるから受験してみないか」と紹介があり、わたしは迷わず受験しました。そして、全寮制の酪農学園機農高校(現在のとわの森三愛高校)に進学しました。厳しい寮生活と毎日の農業実習、縦社会の校風にもまれながらも充実した高校生活を送っていたその頃、小さい頃からわたしが育てた牛が病気で亡くなったという知らせを父から受け、寮の布団の中で泣いた事を覚えています。

高校3年生の春、担任の先生から「奈良ではいつまで酪農ができるかわからないから、獣医学科を受けてみないか。首席の推薦枠があるから、推薦試験でいい成績をとれればいけるぞ」と言われ、亡くなった牛の悔しさを引きずっていた頃だったので、受験することにしました。

そして酪農学園大学獣医学科に入学。当時、獣医師学科は6年制ではなくは4年制でしたが、みっちり4年間講義・実習を受け、国家試験に合格し獣医師になりました。

それからの18年、苦難も超えて

卒業した後すぐ、4月から奈良県農業共済組合連合会家畜診療所に就職。牛の獣医師として働きました。それからの4年間はあっという間でした。というのも、獣医師として4年間働いたのちは、家業の酪農とブドウの農家を継ぐ約束を父と交わしていたのです。4年後、何の迷いもなく退職し就農。それからの10年間は農業一本で頑張りました。

しかし、畜産業界を取り巻く情勢は年々ひどい状態に陥り、加えて私の牧場で伝染性の乳腺炎が発生。有力な看板牛がことごとく廃牛になってしまいました。畜産撤退か、再度資本を投入しての再建か、と迷いました。その時、高校の担任のかつての言葉を思い出し、この環境下での酪農業を存続させることは無理と判断し、畜産で残した借金に加えさらに多額の借金をして動物病院を開業する事を決意しました。

ブドウ園はわたしで三代目です。父の代でやめてしまう事はどうしてもできませんでした。ですから2足のわらじをあえて履きました。ご先祖から受け継いだ土地をどうしても守りたかったからです。

トリミングルームやドッグランの開設へ

動物病院を開業してから18年、あっという間に経ちました。そして人生に56年が過ぎました。

平成22年の春、長男が農業を継ぐと言ってサラリーマンを辞めました。次男は私と全く一緒の道を歩み、酪農学園とわの森三愛高校から同学園大学獣医学部に入学し、来春の卒業予定です。

そのちょっとした安心が私の心に隙を作ったのと、溜まりたまった疲れが一気に出たのでしょう。それまでの一年間、ほとんど休みを取っていなかった事もあり、昨年の夏、急に倒れ2ヶ月間入院しました。生まれて初めての入院です。

本当に多くの飼主様に迷惑をかけました。しかし、多くの飼主様からお見舞いや励まし、労りの言葉をかけていただき、感激の涙が出ました。まだまだ私は必要とされていると再認識しました。

入院中にいろんな思いが頭をよぎりました。反省や感謝、これからの展望など、本当に自分を見つめなおす意味のある入院でした。何より健康が第一という事を再認識しました。

夢は「まほろばの丘」へとつながって

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これからは今まで育んできた夢にチャレンジをする好機だと考え始めました。まずはこの4月にトリミングルームをオープン。トリミングとセルフウォッシュを始めました。

今年の秋には、動物病院の裏の丘(1500坪)の敷地の一部でドックランを開設する予定です。そして、その周囲の残りの土地をリードランとして整備し、多くの人たちが自然の中でワンちゃんと散策したり冒険したりと、楽しんでもらおうと思います。高台から見えるロケーションは最高です。

このプランは、ほんのとっかかりです。まだまだ私の夢は続きます。そのうちに息子たちは一人前になって、わたしは夢だけを追い続ける日が来ると信じています。

夢は「まほろばの丘」へとつながって

私の夢の事業を「まほろばの丘」と名付けました。まだイメージの段階ですが具体的な形になればブログで紹介していきたいと思います。

ドックカフェは私の長年の夢です。出来たらいいなと思います。牛舎として使っていた小屋の改装で実現できるかもしれません。期待していて下さい。

ある友人は「野外コンサート(クラシックや和太鼓、ジャズコンサートなど)もイイねっ」と言ってくれました。陶芸教室、絵葉書教室、野菜即売などなど、いろんな意見をいただいています。

もちろん、動物病院の仕事も全力を尽くして、次男が修業から帰ってくるまで守り続けます。


わたしども動物病院は、地域の人々の伴侶である動物の健康を守るお手伝いをさせていただいて収入を得ています。ですからこれから遠くない晩年に向かって、少しでも地域の方々に何かお返しができる事業ができたらいいなと常々思っています。

皆様、どうかこれからも塚原動物病院にエールをください。いろんな知恵や意見をください。また、事業の和の中にいっしょに入って、世界遺産法隆寺周辺を憩いの場にしていきませんか。


よろしくお願いいたします。


2014年6月


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